「学校」と「受験」が求めるもの
学校生活を送っていて、勉強をする。
志望高校、大学にいくために勉強する。
おなじ勉強ですが、求められるものは違うのですね。
学校では、「課題をきちんとやる」「授業に集中して取り組む」という態度の面で求められることが多い。
それを打って変わって、受験では、「いかに点数がとれるか」「問題の正解が分かるか」という能力重視。
だからどれだけ真面目に宿題をやって、ノートを綺麗にとり、授業を聞いていても、受験に落ちる人は落ちるべくして落ちてしまう、、、
別のブログでも書きましたが、やはり「合格」を第1目標に根ざした必要な努力をすべきである、と。これは間違いないことです。どれだけノートを綺麗にまとめても、それを見直しましたか?綺麗に仕上げることが第1目標になっていないでしょうか。
教師を目指すにあたり、いかにここを的確に伝え、生徒を支えてあげられるか。ここの部分はこれからの大学生活の中でしっかり考えなければならないことだと思いました。
なぜか?
僕もこのタイプだったからです。
みんなに、「ノート見せて?」「字綺麗だね」といわれるのが嬉しくて、ノートを綺麗にまとめることだけを考えていました。
だから見直しもほとんどせず、成績の伸びも少なく、受験勉強も苦手教科においては一から始めてしまうという失態を犯してしまいました。
僕の勉強の原動力はノートだったので、別に綺麗な字で綺麗にまとめることはいいと思います。それに後悔はないです。
しかし、合格するために必要な過程をしっかり踏ませてあげられるような教師になるために、これからの人生の中で「教える」立場になる決意をもっともっと深くしていこうと思います。