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図書館活用術

みなさんはどこで勉強していますか??

学校

自分の家

友達の家

 

様々な場所があると思いますが、今回はぜひとも「図書館」を使ってもらいたいと思い、書きます。

 

何がいいか? 環境です。

図書館にいる人々を想像してみてください。

小さな子どもが走り回っているでしょうか?大人がしゃべり散らしているでしょうか?

 

みんな静かに本を読んでいると思います。

 

どうしても友達と喋る環境があれば、集中力が切れたところで、雑談が始まってしまいませんか?

ちょっとした息抜きなら構いませんが、それが時間の大半を占めるようになりませんか?

 

だからこそ、「しゃべってはいけない、しゃべりづらい」環境、つまり図書館は最適の場所と言えます。

 

加えて、図書館には勉強を阻害するゲーム、アニメや自由に使えるコンピュータなどはないはずです。(本を探すコンピュータは別ですが)

 

家で勉強していて、疲れたなあと思って視線をそらすと漫画がチラリ。

「一章だけ」「一冊だけ」「もう一冊だけ」「、、、、、」

こんな経験はないでしょうか。

 

人間はどうしても、楽な方へと流されてしまいます。なぜか、苦労をしたくないんです。それは僕だってあなただって他の人だって同じはず。

 

ではなぜ成功者は努力をし続けられるのかと思うと、その精神に打ち勝つメンタルがあるからだと僕は考えています。

 

「ここでもう少し頑張る」といった精神力の積み重ねが成功につながるのではないでしょうか。

 

他の人が多分中で諦めてしまうだろう。という境界を感じてからが勝負です。

そこでいかに頑張れるか、いかに続けることができるか。

ここに関わってくると思います。

 

そのなかで欲望を断ち切ることのできる図書館で勉強するのはふさわしいと言えるのではないでしょうか。

 

また図書館にはたくさんの本があります。

本をたくさん読んで、人生経験を積み重ねていきましょう。

 

 

 

ほんとにそれ、覚えられてるの?

勉強(特に英語社会理科)について。

 

さらに英語は英単語、社会は年号、理科は化学式など。

 

これらは主に「暗記」をしてテストに臨むことになるでしょう。

 

みなさん暗記はどのようにしてますか?

ひたすら紙に書いて覚える、目で見る、声に出して覚える(発音、音読)。

 

たくさんの方法があり、人それぞれの覚え方があるので、効率の良し悪しは別として誰も否定はしません。

 

しかし、共通して大事なことがあります。

 

「反復」  です。

 

忘却曲線が、、、」なんて耳にすることは多いのではないでしょうか。

 

そう、1日で全てを覚えようなんてわがままです。

 

じゃあどうするか。

 

何日もかけるのです。

英単語を例にすると、

① 1日で5時間使って1番〜200番の単語を100回ずつ書くぞ!!

② 1日1〜200番の単語を1回ずつ発音しながらかいて、3日後、一週間後にもう一回復習するぞ!

 

さて、①の方が明らかに書く量は多いのは当たり前ですよね?

しかし、どちらがより深く覚えているかというと②なんです。

 

短期記憶に留めるだけでは、時間が経つと忘れてしまいます。

何回も反復して復習することで、長期記憶に落とし込み、無意識で覚えられるようにするのです。

 

「いぬ」という漢字を書かない人はいないですよね??

 

なぜでしょうか。

普段テレビや広告でしょっちゅう見かけませんか?

何回も見ることで自然と頭の中に、いぬ=犬という漢字が組み込まれているのです。

 

しかしこれだけでは記憶としては弱いです。犬と聞いて思い浮かぶのはなんでしょうか。公園で駆け回っているようす、家でまったりしてる様子、ご飯を食べているようす、なんでもいいです。

 

イメージが付くと記憶の定着力は一気に上がります。

車=car だけでなく、それが走っているようすなどを想像するだけで。

1582本能寺の変だけでなく、本能寺というお寺、家臣の明智光秀を想像するだけで。

 

関連知識やイメージを頭の中で整理してどんどん記憶力を高めていってください!

 

 

「学校」と「受験」が求めるもの

学校生活を送っていて、勉強をする。

志望高校、大学にいくために勉強する。

おなじ勉強ですが、求められるものは違うのですね。

 

学校では、「課題をきちんとやる」「授業に集中して取り組む」という態度の面で求められることが多い。

 

それを打って変わって、受験では、「いかに点数がとれるか」「問題の正解が分かるか」という能力重視。

 

だからどれだけ真面目に宿題をやって、ノートを綺麗にとり、授業を聞いていても、受験に落ちる人は落ちるべくして落ちてしまう、、、

 

別のブログでも書きましたが、やはり「合格」を第1目標に根ざした必要な努力をすべきである、と。これは間違いないことです。どれだけノートを綺麗にまとめても、それを見直しましたか?綺麗に仕上げることが第1目標になっていないでしょうか。

 

教師を目指すにあたり、いかにここを的確に伝え、生徒を支えてあげられるか。ここの部分はこれからの大学生活の中でしっかり考えなければならないことだと思いました。

 

なぜか?

 

僕もこのタイプだったからです。

みんなに、「ノート見せて?」「字綺麗だね」といわれるのが嬉しくて、ノートを綺麗にまとめることだけを考えていました。

だから見直しもほとんどせず、成績の伸びも少なく、受験勉強も苦手教科においては一から始めてしまうという失態を犯してしまいました。

 

僕の勉強の原動力はノートだったので、別に綺麗な字で綺麗にまとめることはいいと思います。それに後悔はないです。

 

しかし、合格するために必要な過程をしっかり踏ませてあげられるような教師になるために、これからの人生の中で「教える」立場になる決意をもっともっと深くしていこうと思います。

 

 

受かる人、落ちる人

さて、受験シーズンが終わると思いきや、新たな学年の受験シーズンが始まる。

高校、大学を志望するにあたりテスト、センター試験、面接といった受験は不可避になります。

 

どんな人が受かり、どんな人が落ちるのでしょうか。

あくまで傾向の問題なので絶対とは限りませんが、、、

 

① 意識の高い人が受かり、低い人が落ちる。

やはり、受験は勉強をする前から始まっています。どんな学部へ、どんな学校へ行くのか。その想いが強ければ強いほど勉強への熱も熱くなります。

 

② 忍耐強い人が受かり、弱い人が落ちる

勉強が楽しい人〜???

いないでしょう。いたら変人です。

さて、でも受験勉強は避けられないでしょう。推薦の人は面接だって必要でしょう。

そこで、だからこそ、忍耐が大事なのです。

やりたくないこと、勉強以外にもありますよね?そこでやめていいんですか??

辛いのはあなた一人ではありません。

隣にいる人、家族、先生、味方になってくれる人、好敵手、、、

人と人のつながりは大事です。誰も一人では生きていけません。

 

③ 行動の早い人が受かり、遅い人が落ちる

どれだけ勉強したとしても、早くから始めた人に勝つのはなかなか難しい(ここで大事なのは、できないというわけではないということ)

例えとして極端ですが、東大を目指す人は高校、中学、早くは小学校から英才教育を受けています。

つまり、総合の勉強時間が格段に違うのです。

志望校に受かりたかったら、せめても、同じ学校を目指す人よりも早く勉強を始めてください。

 

 

すべてはあなたにかかっています

 

「あなたは本当に”できない”の?」

「英語できない」「数学できない」のように「○○できない」こう感じたことはありませんか?はっきり言ってそれは間違いです。テストの点数が悪い=できないというわけではありません。テストの点数が悪いのは「やっていない」からです。やれば出来るんです。

僕は、10月まで部活を続けていました。勉強よりも部活を優先していたので、勉強が後回しになりがちであり、模試の判定はいつもE判定とD判定を行ったり来たりでした。そこで僕は、「自分は勉強ができないんだ」、そう思っていました。しかしそれは誤りだったのです。勉強してなかっただけなのです。部活を引退した後、およそ3ヶ月間勉強した結果、センター試験本番までに点数を100点近くあげることに成功しました。判定もあと10点でA判定に食い込めるラインまで到達しました。すごいと思うかもしれませんが、上には上がいます。周りの友達の中には150点以上伸ばした人もいます。
受験を乗り越えるために僕はみなさんに頑張って欲しいことが3つあります。それは、「継続」と「忍耐」、そして「経験」です。
「塵も積もれば山となる」ということわざは、まさにその通りです。模試で半分以下しか取れなかったリスニングは、2ヶ月で8割を安定して取れるようになりました。1日何時間英語を聞いたと思いますか。答えは3〜5分程度です。学校で使っているリスニング教材を1日1ページだけ解き、2・3回CDと一緒に音読しました。それだけです。個人差はあると思いますが、1ヶ月で点数は変わると思います。一回の量ではなく続けることが大事だと学びました。
しかし、僕はめんどくさがりで三日坊主です。最初は、こんなもんで点数が取れるようになるのかとすぐに飽きました。でも、受験勉強にそれは通用しません。自分に負けないでください。僕は友達に目標を宣言して自分を追い込みました。目標を宣言すると後戻りできなくなってやる気が出ます。自分を奮い立たせて、忍耐強く勉強と向き合ってください。成績はすぐには伸びてくれません。結果が出るまでは「精神」の勝負です。
そして、たくさんの経験をしてほしい。勉強でいえば、たくさんの人から学んでほしいです。僕は部活の関係もあり、塾には通いませんでした。その代わり、学校の放課後講習や、塾の無料講習には積極的に参加し、たくさんの先生に学びました。たくさんの先生の授業を受けると、その先生によって同じ内容について話していても、全く違った表現の仕方をしていることに気づきました。授業で習った時にはわからなかったことも、講習中にそういうことかと理解した経験が何回もあります。分からないことは分からないままにしないで下さい。わからないことがあったら先生に聞く、その少しの勇気の積み重ねがあなたを大きく成長させてくれるはずです。

センターリスニングは余裕?!

はい、余裕です。個人差はありますが、点数を大幅に伸ばすことは簡単です。

僕自身20点前半→40点台まで2ヶ月で伸ばしています。

どうすればいいでしょうか、1日何時間英語を聞いたと思いますか?

 

答えは、3〜5分です。

そんなんで聞けるようになるのか、そう疑問に思うかもしれません。僕も最初はそう思っていました。

 

 僕がリスニングの学習に使ったのは「センターリスニング 分野別 10min ×24という問題集です。解くのは1日1ページだけ。解いたあとにはCDとともに3回ほど音読しました。

 

これを1ヶ月続けたところ模試の点数が10点上がりました。波はあるけれど点数の伸びを実感しました。2ヶ月続けると、センター過去問で35点越え、ときどき40点台を取れるようになりました。3ヶ月続けると、40点越えが安定してきます。個人差はあるかもしれませんが、点数は見違えるほど変わります。

 

塵も積もれば山となる、涓滴岩を穿つということわざがあるように、1日たったの3分でもずっと続けていれば必ず良いことが起こります。ですが、○○できないと言っている人に限って「自分は三日坊主だから」、「私バカだから」何て言葉をいいがちです。なにをいう、出来ないわけがありません、やっていないのです。

 

リスニングに困ってるひとは1度お試しください(´ω`)

 

「自称進学校」の生徒に次ぐ

さて、あなたの通う高校によっては、通称「自称進学校」と呼ばれるものがあります。

特徴としては、

・模試が多い

・進研ゼミが友達

・塾の先生が講演に来る

・受験は団体戦

・宿題が多い    

などがTwitterなのでよく挙げられるものだと思います。

進学校と呼ばれるグループには入らないくせに、変に進学校ぶる高校を学生はよく批判します。

 

でも学校によって指導方針は違うわけですから、こんなことが起こるのは仕方ないと思います。

むしろ、自称進学校なんて言葉はずっとあったわけではないのではないでしょうか。

 

勉強ができない人、いわゆる「頭の悪い人」は学力を上げるために勉強するでしょう。模試でいい点数をとるため、志望校に合格するため。

 

しかしこの世の中には、勉強する人を馬鹿にするという、なんともばかくさい風潮があります。「友達がいないから勉強してる」、「つまらないし勉強ばっかしてる」、「陰キャ」など。

そんな人たちが、「うちの学校は自称進学校とか言って宿題をたくさん出す」、「模試を受けろと強制してくる」なんて言って自分が勉強したくない理由を、あたかも学校のせいにする波を生み出したのではないか。

 

そのままでいいんでしょうか。自分で何か目標を決めて努力できない人は、人間としてどうかと思います。不都合なことは人のせいにして、自分を正当化する。

 

そんな人たちに飲み込まれてはいけません。

 

そんな奴らと一緒でいいのか。まず、自称進学校に入った時点で、あなたは勉強ができないなんてことはありえないのです。

じゃあなぜ、勉強をしなくなるのか。

 

簡単な方にいる人の元へ逃げていくからです。 なぜ自分はこんな苦労しているのに、あの子たちは悠々と遊んでいるのか、じぶんもあの輪に入りたい。と。

 

また人間は一人では生きていけません。

群れを作りたがります。それは周りの女子を見れば一目瞭然でしょう。

 

そこにはカーストのような見えない階級が存在し、残念ながら勉強するごく一部の人たちというのはその階級の下の方に位置する人たちなのです。

 

上の人たちは常に生活を楽しみ、一喜一憂し、下の階級を蔑みます。

 

勉強においては、まるで勉強している人が間違っている、頭がおかしいなど頭ごなしに否定します。

 

環境が及ぼす影響というのは、とてつもないものです。しかし、その場において周りとともに廃れていって良いのか、もう一度考えて欲しいです。